ゆるだらにっき。

Twitterのログと正門くんとAぇ! groupと関ジュちゃん。その他もろもろ。

明けない夜はきっとないはず。

 

えーっと。。お久しぶりです><(土下座)

きっとほとんどの方がアンテナを外してくれてるはず!と信じて

ふらっと戻ってまいりました^^;


OTKのブログのはずなのに今日今から書くことはのっとOTKのことです。

明るくはない話。だけどこれは残さないといけない気がしたので残します。


あ、ちなみに父のことには触れません^^

きっとあの人のことです。

どこかで生きていてくれるんでしょう。

やるべきことはやったので

あとは生きててくれることを信じて待つのみ。です

 

 



自分が仙台に、被災地に行くことはすっごく悩みました。

ボランティアでもなんでもない自分が被災地に乗り込んで何が出来るのか?

父親を探すってだけで被災地に乗り込むことは向こうの方達にとって

迷惑でしかないのではないのか?

新潟周りで仙台に行けることがわかって

何日か悩みましたが

結局「被災地の人になるべく迷惑をかけないように動く」ということを目標に仙台入りを決めました。

結果として父の居場所に関する情報は何一つ得られなかったけど

でも行ってよかったです。

自分の目で見て、自分の耳で聞いて、肌で空気を感じて確かめて。

思っていた以上に壮絶な現実ではあったけど。

目を背けたくなるような場面もあったけど。

でもやっぱり私はバカだから自分の目で見ないと納得の出来ない人間なんだなぁと。


そこで東北に実際に行ってみて

記憶だけでなく文字として残しておこうと思ったことを記しておきます。

正直、それなりにいろいろ覚悟は決めて仙台入りしたんですけどね。

東京で流れる映像って被災状況の酷い地域、そして避難所の様子。

仙台駅前付近ってそんなに映さなかったから

そんなに被害が酷いわけじゃないのかと思ってた。

・・・・・・・そんなことあるわけないんだよね。

友達が「仙台も海沿いじゃなければ全然大丈夫だよ!」って言ってたのは、比較対象があまりに酷すぎるからなんだよね。

そんなこともわからなかった自分が情けなかった。


高速バスで宮城県に入ったときは「あれ?全然普通じゃない?」って思った。

でも仙台宮城IC降りて西道路を抜けて中心部に入った自分を待ってた風景は、「一件普通だけど閉じてしまった街」だった。

ところどころバリケードテープの張られた区画。

中には撤去されてない壁の残骸。

店舗はチェーン店はほとんどやってません。

やってるのを見たのはなぜか「すき家」だけ。

吉野家もマックも松屋も。

コンビニもファミレスも。

内側から新聞紙やダンボールを貼り付けた状態で「閉店」となってた。

おそらく物資の流通が出来ないからなんだろうね。


でも人は街にあふれてた。

ダイエーやさくら野に初売りみたいな長蛇の列ができてた。

日用品や食料を求める方達だろう。

個人の飲食店は頑張って開けて店頭でお弁当を売ってた。

おみそ汁をふるまうお店もあった。

バス停はどこも常時列を作ってた。

一番丁のアーケードに掲げられた横断幕

「私たちは負けない!」

涙が出そうになった。

でも堪えた。

だってつらいのは自分なんかじゃない。

ここでずっと暮らしていくみんな。

私はここに家族を探しに来ただけの人間。


実家から仙台への往復のバスの中。

バイパスで長蛇の列を何度も見た。

ガソリンスタンドへの列。

およそ1.5kmはあるだろう。

みんな必死。

生きるのに必死。

でも悲壮感よりもみんな一生懸命だった。

助け合ってた。


初日はあまりの空腹に耐えかねてラーメン屋さんに入ってしまったけど

二日目は山形に戻るまで我慢した。

自分がここでお店に入ることって市民のみんなの食料を奪うことなんじゃないかって。

未だにその答えは出せない。

消費することも復興の手助けの一部ではあるけど、まだそこまでいってない。

市民の皆に食料が行き渡ってない以上、余所の人間が消費しちゃダメなんじゃないかと思った。

そして山形も一見被害なんてなさそうだけど、やっぱり物資不足だった。

東京よりもずっと物がなかった。当然だけど。

生理用のナプキンが一種類ぐらいしかなかった。

ビールがなぜか一番絞りだけ売ってなかった。名取の工場がやられたから?

関東とは別の意味でいろいろ物資がたりなくて、お店もそれぞれ早仕舞いにするところが多かった。

もっと復興したら観光で来ていっぱい消費するからね。と思って後にした。

仙台も山形も次は楽しい用事で行きたいな。


姉がパート先の職場(ファミレスのチェーン店)で他の地域の組合員から物資をたくさんいただいたそうだ。

姉は電話の向こうで泣きながら「本当にありがたいね。次は絶対自分たちが困ってる人たちを助けないとね。」って感謝してた。

県警で対応してくださった当直の警官の方は「遠いところきてくださったのに、情報がなくて申し訳ないです。寒かったでしょう?ここも出入りが多くて寒くて申し訳ないね。」って。

区役所の方も「遠いところせっかくきていただいたのにすみません」って。

勝手にこっちが押しかけてるのに。

真剣に話を聞いてくれて調べてくださって本当に感謝してます。

私は本当に心優しい人たちのいるところの出身でよかったと心から思いました。


みんなそれぞれ今苦しんだり悩んだりしてると思う。

西日本のみんなは「自分達は何不自由なく暮らして」と。

首都圏のわたしたちは「停電や物資がちょっと足りないぐらいで弱音吐いちゃダメだ。被災地のみなさんはもっと大変なのに」と。

被災地でも被害の程度によっては「今までと生活が違ってしんどいけど、もっと大変なところもあるし」と。


なんか上手く言えないけど

みんなで前向いて踏ん張っていきたいね。

つらいときは吐き出そう。

我慢ばっかりしてたら壊れてしまう。

先々週の自分がそうだった。

気付くと連絡の取れない家族のことを考えて

でもみんなに心配かけたくないから笑顔で頑張って仕事して

泣くのはお風呂場だけ。

そんな生活だった。

でも「被災地の皆はもっとつらいんだ。電気がついて、自分の家や布団、食べるものがあって、シャワーが浴びられる自分が贅沢言っちゃいけないんだ。」ってずっと押し込めてた。

でもやりすぎると人間壊れてしまう。

とうとう週の中ごろになると帰り道で勝手に涙が流れてくるようになった。

それもあって仙台に行くことを決めた。

気持ちの落としどころができた。

大丈夫!もう、しばらくは泣かないと思うよ!


深刻な被害の甚大な場所の方は大事な家族や家を失くして、そのうえ苦しい生活を送ってて本当につらいと思う。

上手い言葉がでてこないけど、自分達のできる範囲でみなさんの復興の手助けをします。


被災地に早く春がきますように。